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その4 「前田工業 4」
技術開発競争
サンツアーVシリーズが開発されていた昭和40年代半ば、日本で安く手に入る軽合金素材といえば米国で余剰となったスクラップアルミ・屑アルミだったそうです。もちろん鋳直した物なのだそうですが、「メーカーが寄越すデータシート通りの性能が出なかった」とある工場の技師から聴きました。「限界設計をしなければならなかったタンクが簡単に壊れたので素材メーカー(日本を代表する企業)の担当者を締め上げたら、ドイツのクルップ社のデータシートを丸写ししました、性能的には6割りで計算して下さい、と泣きつかれてね、あのころはそんなもんだったよ」 とは、、、、。
そんなものしか手に入らないのなら割り切って設計でなんとかするしか方策が無い訳で、なんとかした結果があのデザインなのでしょう。大振りだの肥満児だの言われましたがむしろ堂々としていたと評価したいです。
市販高級車にはサンツアーV一色と言って過言では無い程に普及しました。日本の高級変速機市場をサンツアーが制覇したかに見えたその時、3.3.3.島野からも軽合金製変速機3機種ターニー・タイトリスト・クレーン・が登場したのです。
これら現在のジュラエースシリーズの先祖達は同一設計で材質・仕上げが異なる物でした、当然スラントパンタの特許が前田工業の物で有る以上ダブルテンション(パンタ本体を後下方に動かす、車輪の脱着用では無い)に活路を見いださねばならずパンフレットには苦しい言い訳じみた解説図・フリーホイールのギヤが14−24に向かって順に大きくならず・14・16・21・18・24の様な組み合わせで有っても歯先とプーリーの間隔が一定に保たれると図解されていました。もっともそのようなフリーが島野から発売されたと言う情報は私の所を素通りした様で現物を見た事が無いのですが、どなたかご使用に成った方がいらしたら御投稿下さい。
サンツアーGTシリーズに対抗するため島野製三羽烏にもGSシリーズが登場しました。ロングケージを採用しケージには巨大な肉抜き穴が空いていました。クイックケージに対抗する機構は若干遅れて、クイックハッチとして登場しました。こちらはケージの一部が可動式になっている両持式です。
技術の向上には競争が一番です、特にクレーンにVシリーズよりも上位に当たる位置づけを与えた島野の戦略は成功したと言って良いでしょう。このことが後のデュラ対シュパーブの開発競争のきっかけとなりサンプレ・ユーレー・カンパの神通力をアメリカ市場から払拭する遠因になったのです。
驚いた前田はクレーンに対抗する最高級機種を直ちに開発、奪われた高級変速機市場を回復するために全力を投入した、ともなれば話としては大層面白いのですがそんな気はさらさら無かった様です。「変速機としての性能はVが上、無理に軽量化してない分信頼性もVが上」と涼しい顔でした。
特に石油ショックと共に始まった輪行車ブームで一世を風靡した、丸紅山口社のベニックスシリーズの最高級車(101)に標準装備されていたクレーンに分解事故が数件あったのが「信頼性もVが上」を実証する事になりました。が、輪行車ブームは同時に軽量化ブームでも有り各種部品の軽量化は部品メーカーにとって至上命題となりました。
ここへ来てマエダ工業も重い腰を上げて?Vシリーズの全軽合金化モデルを発売しました。上級とか豪華とかを表すLUXE((ラックス、de−luxeのluxe)を付けてサンツアーV−LUXEシリーズと命名して、レース用V−LUXE、ツーリング用V−LUXE・GTの2機種が登場、少し遅れてスポルティーフ用V−LUXE・Tを追加しました。これらラックスシリーズではそれまで鉄製だったパンタアーム、チェンケージが軽合金化され重量的に軽くなりました。表面の仕上げ・アルマイトもパット見た目に華やかになり豪華な印象になりました。
このV−LUXEシリーズの完成をもって日本製変速機の優秀さが世界に認知される事になり、ひいては対米輸出用自転車の高級化への道を拓く事になりました。当時の輸出ブランド、カブキ・アズキ・ミカド・ニシキ・その他多数の小規模・大規模メーカーが石油ショック直後の不況を乗り切る助けになったのです。ちなみに昭和40年代後半から1ドル150円を割るまでにかけての日本は今の台湾以上の自転車輸出大国でした。
その5に続く
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