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その11 「前田工業 8」
迎撃デュラエース! シュパーブ連合結成への道。
「島野最高級シリーズ登場」というモノクロ広告が自転車雑誌に掲載されたとき注目する人は少なかったのですが、これが後にデュラエースシリーズに発展しようとは長生きはするものですなあ。
ギヤクランクは高木さんだろう、えっヘッドパーツ?、ブレーキは昔から油圧センタープルなぞ作っていたから自製としてフリーに変速機一式も自製か「ふーんコンポーネントねえ」、「オーディオを真似したのかなあ」、「好きなパーツを選べないのは不利だと思うがなあ」などと好き勝手な事を言っておりましたが完成車メーカーにとっては「部品発注の面倒が無い」というメリットが受けました。
発表当時のラインナップは、ギヤクランク(一体鍛造)、フリーホイール(カセットでは無い)、サイドプルブレーキセット、変速レバー、前後変速機(クレーンを流用)、ハブ(これはお手の物、島野は元々ハブ屋さんだったし)、ヘッドパーツ。その後ステム、ペダル、チェンなどが追加されました。333島野の事についてはどなたか詳しい方にお任せするとして。
驚いたのは前田工業を始めとしてギヤクランクの杉野、ブレーキの吉貝、ハブの三信松本、など自転車不況の中でもなんとかスポーツとしての自転車を普及させようと頑張って来た小企業でした。それまでは変速機は島野製でもクランクは杉野が、ブレーキは吉貝が採用される可能性が高かったのにコンポーネント化されると全てが島野製になってしまう。どうする、杉野でもコンポーネント部品を発売するか(冗談では無く後にスギノ75シリーズとして発売されました)、それだけの体力(資金力)が有るのか。
戦前の888マークの様に銃3丁を交差させれば三脚の様に立たせる事が出来る、とばかりに各社で協力体制を取る事になりました。以前から輸出などでグループ活動をしていたJEXグループの各社の最高級製品は品質の問題は無く一部の物は国際競技会で金メダルを取っていたりして島野に負ける訳は無いと自他共に認めていても、一貫性の無さはどうしようも無くせめて名称だけでも統一しようと考え出されたのが「シューパーブ」最高を意味する形容詞、でした。
前田からは変速機「シュパーブ・サイクロン」が、杉野からは「シュパーブ・マイティ」が吉貝からは「グランコンペ」が、三信松本からは「プロフェッショナル」が発売されました、化粧箱に「シュパーブ」のシールを張って。
元よりこの程度で島野デュラに対抗出来るとは思っていませんでした、一貫性を持った意匠・設計思想が必要でした、しかし各企業共一家言持った人達ですので簡単には行きません。見かけ上前田工業主導で活動していましたが外野の我々には伺い知れない苦労が有った事でしょう。
しかも島野はデュラに引き続きシマノ600シリーズと言う中級コンポーネントも出して来たのです。こちらはレースに特化すること無くツーリングも範疇に収めた幅広いラインナップを誇る物でスリーアームのギヤクランクなど惚れ惚れする姿形でしかもカンティブレーキまで用意して有りました。勝負有ったかとサンツアーファンの私まで覚悟したのですが、600のツーリングパーツには意外な不人気がまっていました。この600ツーリングの失敗が島野のツーリング市場からの撤退の原因になりました、ツーリングは難しい、機能だけでは売れない、美的感覚なんて掴めない、そしてツーリングは無視しようとなったのです。
実際ツーリング車全盛期でもツーリング車1に対してロードレーサー2の割合だったのです(本格的な物の話しです)。島野はロードレーサー市場とジュニアスポーツ市場での覇権を狙って来ました、デュラエースの変速機に専用品を送り込んで来たのです。
サンツアーも専用設計のシュパーブ変速機セットを登場させました、ここに両陣営共に役者が揃いガップリ四つに組んでの大相撲に進展して行きます。
その12に続く
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