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【サンツアーの全て】

その3 「前田工業 3」

「1960年代中に人類を月へ送る」、J.F.ケネディーの野望が実現しソ連の鼻をへし折り、世界中のTVで中継画面に人々が見入っていたあの頃。西日本の中小企業の本場堺市では世界市場で通用する高性能変速機を開発しなければ後が無い二つの会社が、隣り合った工場で必死の開発を続けていました。(一部誇張有り)

日本国内では後から見ればブームの谷間、当時は深刻な自転車不況の真っ最中でしたがテンスピード車10段変速車に対する根強いあこがれからBSエスエステン、片倉ランドナー、日米富士ロードレーサー、などが細々と生産を続けていました。

これらへの供給と米国バイヤーの要求を満たすために、変速性能自身には問題の無かったコンペ(コンペテーション)を下敷きに耐候性を向上させるためにテンションスプリングを全て覆いアルミ製の本体にはアルマイト加工をほどこし当然スラントパンタメカニズムも採用し、強度と価格の妥協からチェンケージは鉄製を採用し(V−GT)。チェンの脱着を簡単にするため片持式ケージを開発しました(V−GT)。また当時としては珍しかったアーレンキー・ヘキサゴンレンチ6角レンチで締めるボルトを本体取付けボルトとテンションスプリング固定ボルトに採用して高級感を演出していました。名称をサンツアーV(ブイ)としてデビューしたのです。

狙いどおり軽合金製変速機としては安く2000円台前半で市場に出回り、メーカー製4万円台の完成車にはほとんど標準装備となりました。

一方低価格モデルとして同一設計で鉄板プレス製のオーナーヒーローが有りました。V−GTと同じケージを採用したモデルはサンツアーGTとして3万円台の完成車に多く採用されました。

ここで勘違いなさらないで欲しいのです、当時の4万円は今の10万円以上の価値なのです、石油ショック前の話、1ドル360円の時代の4万円なのです。

と言う事は米国バイヤーにとっては3ドル/個ぐらいの・・・・・・これは私の想像です。

V−GTなどのGTケージは、初期には開口が車輪側に有りました、信頼性・いたずら防止の点では正しい選択でしたが、「ホラ、僕のはこんなに便利だよ」というアピール不足は否めません。どなたの発案でしょうか開口を外側に持ってきたモデルに代わりました。そして狙いどおりに市場を席捲したのです。

GTシリーズ 共通としてシングルテンション スラントパンタメカニズムギヤキャパシティ 36 最大ローギヤ 34歯 なぜ?

なぜローギヤが34歯まで使える設計なんだろう。カギはジュニアスポーツ市場での島野との激突に有りました。

その4に続く


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